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仲多度郡琴平町「中野うどん学校 」~こんぴらさん表参道で100年続く商売。中野屋四代目の向かう先~

2019.10.01

こんぴらさんに参拝の観光客は「中野うどん学校」でうどんを打つことを楽しみにします。

こんぴらさん表参道「中野うどん学校」の四代目羽藤裕子(はとうゆうこ)社長にお話しをお伺いしました。

仲多度郡琴平町「中野うどん学校 」~こんぴらさん表参道で100年続く商売。中野屋四代目の向かう先~

ーー2014年で創業100周年、現在はこんぴら表参道のシンボル。

いえいえ…とんでもないです。

昔から、お付き合いのある企業様やご近所様やご参拝のお客様のおかげです。こうして100年以上、商売を続けられているのは、何よりこんぴらさんのおかげですから。感謝の気持ちを忘れずに一日一日頑張っています。

※写真はこんぴら表参道です。

※観光シーズンは観光客でごった返す「こんぴらさん表参道」。

 

 

 

ーー中野屋の商売の原点。

今でこそ、うどん学校をやらせて頂いていますが、創業当初は主に学校の教科書を扱う本屋さんでした。

ちょうど、二代目の時代に私の祖母(二代目の奥様)が「本と一緒にお土産物も売ってみたら?」ということで本屋の片隅にお土産物を販売したことが、現事業のはじまりでした。

※写真は中野うどん学校さんです。

※うどん打ち体験が出来る「中野うどん学校」。お土産も充実しています。

※写真は「中野うどん学校」琴平の店内です。

※オリジナルのお土産うどん以外にも、ご当地ならではのお土産物を数多く取り扱っています。

 

 

 

ーー「うどん学校」の始まり。

私の父でもある三代目は元々は大手ハウスメーカーの技術畑でサラリーマンとして働いておりました。ハードをつくるのが好きな人でしたね。夜中に自分で考えたアイデアを翌朝には家族や従業員に伝えて、すぐに実行していたようです。

三代目の周りで働いている人は大変だったみたいですね(笑)。

※写真は「てんてこ舞」の看板です。

※系列のうどん店「てんてこ舞」には三代目である中野吉貫さんの言葉も確認出来ます。

 

 

 

ーー「うどん学校」のきっかけ。

「うどん学校」開校前は製麺所でつくった、うどんを観光客の皆様にお出していました。製麺所で茹で時間の経過したうどんですから、どうしても時間と共に劣化します。それで「まずいうどんを出すな!」とクレームが来ました。

そこで、三代目が「では、自分でうどんをつくればいい。」ということで、自家製麵業をはじめました。元々は技術畑の人でしたから、讃岐うどんを研究することは好きだったようです。

三代目が讃岐うどんの研究を進めるうちに「県外の方に讃岐うどんの文化を提供したい。」となり、観光客の皆様にうどん打ち体験をしてもらうことを思いついたようです。

※写真は「てんてこ舞」さんのうどん生地です。

※開始当初は斬新で画期的だった「うどん打ち体験」。当時は同業者や製麺所から非難も受けたそうです。

 

 

 

ーー失敗続きの「うどん学校」。

うどん打ちの講師は三代目がしていました。

ですが、その講義内容は技術畑出身の父らしく、真面目に製法の理屈を座学メインで講義していましたね。お客さんからも「面白くない。」とか「遊びに来ているのに、勉強なんか出来るか。」等とお叱りを受けることが多かったんです。

私たち家族から見ると、三代目の父はハードづくりは器用ですが、ソフトづくりにはあまり関心がなかったように思います(笑)

※写真は「てんてこ舞」さんのかけうどんです。

※決して順風満帆でなかった「中野うどん学校」さん。地元民でも知らない話が続々と出てきます。

 

 

 

ーー「うどん学校」の転機。

三代目がしていました「うどん学校」の講師を、ある時から信頼する女性スタッフに口を挟まない約束で任せたんですね。

すると、その女性スタッフは吉本新喜劇張りに明るく楽しい講義をやりました。それがお客様から大好評でした。

そこからは、いかにお客様に楽しんで貰えるかを念頭にダンスやカラオケも織り交ぜた賑やかな「うどん学校」に変わりました。メディアの露出や観光需要も手伝って、ヒットしたんです。

※写真は「てんてこ舞」の2階照明写真です。

※「うどん学校」のヒットを受けて、廃業した旅館の再生業等も、さらに地元琴平に密着した企業に。

 

 

 

ーー四代目の商売の原点。

私は大学卒業後、一般企業に就職していましたが、結婚を機に香川に戻ってきました。

幼い頃から、お店を手伝うことは当たり前でしたし、商売の大変さもわかっているつもりでした。小さい頃は祖母(二代目の奥様)と暮らしていたので、朝早くから祖母が商売に出かけるのをずっと見ていました。ですので、私の原点は祖母が本屋の片隅ではじめた、小さなお土産屋さんのイメージですね。

※写真は中野屋の羽藤社長です。

※「観光客の皆さんに香川県をもっと知ってほしい。」と四代目。地元の企業などと色々な試みをされています。

 

 

 

ーー中野屋の原点。

中野屋の100年続く商売の原点は「心からお客様を大切にする精神」です。

それに地元の皆様や取引先の皆様、こんぴらさんへ感謝の気持ちを忘れてはいけないと思います。将来的には業態が変わったとしても、こんぴらさんの表参道で商売をすることは変わりませんから。

「嫁入りおいりソフトクリーム」のように自分たちのアイデア次第で商売のタネはたくさんあると思います。

※写真は「おいりソフトクリーム」です。

※写真は四代目が考案した香川県の伝統菓子「おいり」が入った「嫁入りおいりフトクリーム」。SNSで拡散されヒット商品に。

 

 

 

ーー県内各地で定番「元祖 嫁入りおいりフトクリーム」。

元々は「おいり」をつくっているメーカーさんから「おいりの消費量が減少して困っている」という旨のご相談がありました。

当店でソフトクリームの販売はしていましたので、「おいり」をソフトクリームにつけて販売したところ、SNSやメディアの取材も重なり、大変な話題にして頂けました。「おいり」が元々、可愛い色をしていますので。現在のスマホ時代には、追い風になったのではないでしょうか。

※写真は「中野屋」さんが販売している「おいり」。

※観光客に大人気の香川県の伝統菓子「おいり」。現在は人気も回復し、観光客には定番のお土産だそうです。

※写真は香川県の伝統菓子「おいり」です。

※「おいり」は結婚式の引き出物や嫁入りの挨拶に配られる、香川県の伝統菓子です。

※写真は「おいり横丁」です。

※「中野うどん学校」の隣にあり休憩所「おいり横丁」等で「嫁入りおいりソフトクリーム」は食べることが出来ます。

 

 

 

ーーこれからの「中野屋」。

元は本屋さんですからね(笑)。そこから色々経て「うどん学校」になりました。最近は外国人観光客が増えて、こんぴらさんを訪れる層は多様化が進んでいます。「うどん学校」は日本人の方でも外国人の方でも、どなたでも楽しめる工夫をしています。

とにかく、私たちなりに讃岐うどんの魅力を伝えていきたいですね。もちろん、当店以外にもこんぴらさんや表参道は良いものや楽しいお店がたくさんあります。琴平の町全体をもっと楽しんで頂けるように頑張ります。

※写真は中野屋の4代目羽藤社長です。

※「従業員一同とこんぴら表参道の方々とみんなで、この地を盛り上げたい。」と四代目羽藤社長。お忙しいところ、ありがとうございました。

※写真は中野屋さんの看板です。

※外国人観光客にも見やすいように英語表記もしている看板も。

 

 

株式会社 中野屋
住所 〒766-0001香川県仲多度郡琴平町796番地
電話番号 0877-75-0001
営業時間 8:30~18:00  ※ご予約戴けば準備を整えてお迎えいたします
公式サイト https://www.nakanoya.net/company/

この記事を書いた人

アユム・スカシヒット(株)一誠社http://isseisha.co.jp/

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