【知識】香川県内のうどん屋の変遷について。
当たり前ですが「うどん屋」と言えば、飲食店でうどんを出すお店です。
昭和初期や中期は○○麺業、○○製麺所、○○食品等々、呼び名は意外とバラバラだったそうです。
また、○○食堂という食堂でうどんがメニューの中であり、後日うどん屋になったりと様々です。
今回は箸休め記事として、簡単にですが記事にしてみました。
【知識】香川県内のうどん屋の変遷について。
●家族経営のうどん屋
昭和初期の創業がほとんどがこれにあたるそうです。
製麺所で「玉売り」を基本にうどんで生計を立てておられました。
製麺所系のうどん店さんに取材しますと、家族経営がほとんどで2代目、3代目のご主人が継承されています。
製麺所の主なうどん玉の卸先は近隣の学校や病院、故人の法要や会社の食堂や近年ではスーパーなどです。
うどんも作り置きを前提にしていますので、取材の感覚では時間が経過しても美味しいうどんをつくることに注力されています。
→綾歌郡宇多津町にある創業60年超えの老舗製麺所「長楽」さんをご紹介。
●サラリーマンからの転職
平成初期のアンケートでは、うどん店の経営者が店を開く前にしていた仕事は会社員、いわゆるサラリーマンが全体の30%を超える時代もあったそうです。
それくらい、香川県人にしてみれば、「うどん屋」は生活に密着した身近な存在でした。
生活に密着したうどん屋は転職して、自分自身で事業を起こそうという情熱やきっかけも持ちやすかったのですね。
→JR高松駅から徒歩で行ける伊吹島産いりこ出汁が香るうどん店「讃岐うどん 大久保」をご紹介。
●メニューについて
昭和初期中期のうどん屋のメニューはかけうどんかしょうゆのみというメニュ-構成が一般的だったそうです。
期間限定で冬にしっぽくうどんがメニュー化される程度だったそうです。
うどんブームで観光客の多くが讃岐うどんに興味を持ちはじめると、うどん屋のメニューも多様化します。
「たねもの」といわれる、天ぷらやコロッケ、さらにうどんメニューもカレーうどん等ポピュラーなメニューも増えてきたそうです。
セルフうどん店の形態が増えたことも要因だそうです。
→高松市内の「頂うどん 握(ITADAKIUDON Goo) 」さんをご紹介。SNSやメディアで話題の「だしたまうどん」についても聞きました。
●うどん打ちの機械化
昔は機械がありませんでしたので、うどんづくりも手作りが当たり前でした。
昭和35年に池田内閣が誕生して、小麦粉の入手が容易になり、製麺業者はうどんなど麺類の大量生産が可能になりました。
只、うどんづくりは重労働で体を壊すこともしばしば。足踏み禁止問題等もあり、これ以降はうどんづくりの機械化の一般化が進みます。
→讃岐うどんは足踏み禁止?過去にあった「足踏み問題」を簡単に振り返ります。
現在では、純手打ちの讃岐うどん店も少なくなりました。
店側からすると、機械で効率化出来ることはした方が良いことが多いにあります。
個人的には機械を使うことは悪いことではないと思います。
たいていのうどん屋さんでは、どこかの工程で機械を入れざるを得ないと思います。
最終的には店主さんの理想のうどんとお客様の好みが合致するかという結論になるのではないでしょうか。
→伝説の讃岐うどんがよみがえる。「宮武うどん」のうどん作りを取材しました。
※下記書籍と讃岐うどん店の店主さんのインタビューを参考にさせて頂きました。
書籍名 讃岐うどん紙器
発行日 1993年3月
企画 讃岐うどん研究会
発行所 美巧社
この記事を書いた人
アユム・スカシヒット(株)一誠社http://isseisha.co.jp/
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