【知識】讃岐うどんの元祖は団子汁??
- 2017.09.06
讃岐うどんはどのように生まれて、どのように進化してきたのか?書籍や資料を元に考察していきます。
【知識】団子汁はうどんの元祖??
うどんが庶民に広まり、一般的に食べるようになった時期や説は香川県内でも数多くあります。当サイトでも、簡単にですが団子汁説や空海説を簡単にですが、ふれております。
ーー小麦粉の粉食の歴史は?
今回は団子汁説を掘り下げて行きたいと思います。
日本の麦食の歴史で調べますとますと、奈良時代の文献「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」等にすでに「麦」が文中に発見されています。
それらによりますと奈良時代から「麦」を食用にしていたのは確認出来るようです。
さらに平安時代に「日本後紀」や「延喜式」等で「小麦」や「小麦粉食品」がかなりの頻度で出てくるようです。
(※香川県農林水産課園芸特産課「讃岐うどん物語」より)
平安時代の「延喜式」では小麦を臼(うす)でつき、篩(ふるい)でふるって粉を作るとあり、石臼で小麦を小麦粉にしている画が残されています。
基本的にうどんも粉食の一種ですから、いくつかの書籍や資料で確認すると石臼を使った粉食の進化系が濃厚な説のようです。
小麦を小麦粉にする石臼が室町時代中期に庶民の間で普及します。
庶民の食生活に変化が生まれます。
石臼を使って粉から手軽に団子ができるようになったのです。
おとぎ話で良く出る「お団子」もこの辺りの作品には大変多く登場するようになります。
団子汁に限って言いますと、九州地方もが団子汁がさかんで麦味噌仕立てが主流なものが多いようです。
一部、大分の「ほうちょう汁」はそうめんのような引っ張り麺でうどんの形に近いものもあるようですね。東北宮城や岩手の「切り麦」も同じようなうどん状です。
讃岐香川の「打ちこみ汁(うどん)」も同様に元々は粉食の団子汁の仲間として、生まれました。特に香川県の場合は団子から麺形態への進化が早い地域であり、いちはやく団子汁から抜け出し、商品化も実施され、現在のうどんの形になったと推測されています。
讃岐うどんに関する最も古い資料は金刀比羅宮の表書院に伝わる「紙本着色金毘羅祭礼図」と呼ばれる元禄時代のびょうぶ絵だそうです。
江戸時代の同時期に江戸や京都、大阪でうどん屋が出現しはじめたのとほぼ同時期にそれを確認出来ますので、当時でもうどんの商品化が早かったことが伺えます。
ーー筆者のまとめ
小麦が食用となり、石臼が普及することで粉食が各地に普及してきました。
粉食で団子は一般食となり、お腹を満たすために食事用に「団子汁」が各地で独自の進化を遂げたように思います。
その中でいち早く、団子状から麺状に進化した地域も出始めます。
家庭食だけでなく、商売用に麺状の粉食が定着したのは、江戸時代でも江戸や大坂、京都と香川くらいだったようです。
そこから、庶民の行事にうどんを食べる習慣が香川に残り、発展したと思われます。
諸説ありますので、ご参考までに。
参考文献 讃岐うどん物語
発行 香川県農林水産部園芸特産課
企画 さぬきうどん研究会
この記事を書いた人
アユム・スカシヒット(株)一誠社http://isseisha.co.jp/
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