なぜ讃岐うどんはここまで有名になったのか。さぬきうどんブームを振り返ります
今や、すっかり有名になったさぬきうどん。
休日ともなれば、有名店には本場の讃岐うどんを求める県外客を中心とした長蛇の列が見られます。
では一体いつ頃から、全国的にここまで「さぬきうどん」が認知されたのでしょうか?
今回はさぬきうどんのブームを振りかえります。
知っておきたい さぬきうどんブーム
ーー香川県の名物はさぬきうどん?
まず第一次ブームと言われるのは、1970年頃です。
当時、開催されていた大阪万博からブームが拡がったと言われています。
万博のブースで、讃岐うどんの手打ち実演がされ、来場者に振るまわれました。
その「コシの強さ」と「味」が万博入場者に認知されたからと言われています。
当時の知事も、積極的にトップセールスを行い、香川県名物さぬきうどんをPRしていたようです。
地道な広報活動で香川県の名物はさぬきうどんと認知され始めました。
→讃岐うどんは足踏み禁止?過去にあった「足踏み問題」を簡単に振り返ります。
ーーうどん屋探訪のはじまり
香川県=讃岐うどんと認知はされ始めたものの、現在のような「さぬきうどん店巡り」が広まったのは、1988年頃からです。
当時発行されていた地元タウン情報誌「月刊タウン情報かがわ」で「讃岐うどん針の穴場探訪記・ゲリラうどん通ごっこ」が、連載を開始しました。
当時、編集長であった田尾和俊氏を団長とする「麺通団」と呼ばれるメンバーが穴場店を「探す」面白さに加え、究極のセルフ対応、のどかな風景、そして、うどんの美味さをこてこての讃岐弁で面白おかしく紹介し始め、地元の人たちがうどん店巡りをはじめました。
また、作家の村上春樹氏も、実際にさぬきうどん店巡りを体験し、そのディープな魅力をエッセイとして発表しました。
「味」に加え、お店を探すという「レジャー」の要素が加わった、うどん屋探訪のはじまりです。
丁度その頃、瀬戸大橋が開通したこともあり、香川県民以外の多くの県外客が香川に訪れはじめました。
当時、大学生だった私は瀬戸大橋の真ん中にある与島PAで、お土産用うどんを販売するアルバイトをしていましたが、本当に、飛ぶように売れたことを今でも覚えています。
→【宮武ファミリー】伝説を継承するうどん店のまとめ記事です。
ーー「さぬきうどん」は全国へ
2000年代に入ると、地元チェーン店である「はなまるうどん」「めりけんや」が東京に進出しました。
天ぷらを自分でトッピングするセルフ方式と、1玉100円の究極のコストパフォーマンスが注目され、各メディアでも大きく扱われ始め、広く「さぬきうどん」が認知されるようになりました。
ここからさらに、勢いが加速していきます。
2006年には、「踊る大捜査線」でお馴染の映画監督本広さんが、先程の「麺通団」をモデルとした映画「UDON」をユースケ・サンタマリアさん主演で製作し公開されました。
※(C)フジテレビジョン ROBOT 東宝
続いて2009年には高速道路休日1,000円が始まります。
この時期は週末ともなれば、県外からのうどん屋さん巡りの観光客が香川県にどっと押し寄せてきました。
→「はなまるうどん」を好きすぎるライターが「はなまるうどん」をご紹介。
※写真は坂出市にある行列の出来るうどん店「日の出製麺所」。
ーー香川県はうどん県へ
2011年には、とうとう香川県が「うどん県」に改名を発表しました。
現在も「うどん県」プロジェクトを展開し続けています。
一過性のブームで終わる事なく、現在、さぬきうどん巡りはひとつのコンテンツとして確立しました。
アンケート調査によりますと、香川県への訪県目的の第1位は、「うどんを食べるため」だそうです。
ブームの要因となった製麺所型タイプの店は、後継者不在で廃業したり、店構えがきれいになったり、「探検」「異空間体験」の店舗は減ってきているように思います。
しかしながら、「進化した味」を追求した新店もどんどん増えてきており、「食べ比べ」の楽しさはまだまだ続いています。
皆さんも「讃岐うどんの多様性」を体験しに香川へお越しください。
→「日の出製麺所」〜名店が振り返る戦中戦後から讃岐うどんブーム〜
→うどんは食べるだけじゃない。讃岐うどん愛がもっと深まる「うどん体験」!
この記事を書いた人
セイジ・コシ・ASW(株)一誠社http://isseisha.co.jp/
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