善通寺市原田町「ジャンボうどん高木」〜50年続く伝統の釜あげうどんの人気の理由〜
- 2023.03.14
釜あげうどんを提供し続けて50年。
昭和、平成、令和と時代が変わっても変わらずに支持され続けている「ジャンボうどん高木」。
出来立ての釜あげうどんの艶やかな麺と心地よいコシは唯一無二の味です。
「食い逃げごめん」で一世を風靡したキャッチコピーのお話や開業時のうどんづくりについて、二代目店主の高木誠一さんに取材させて頂きました。
善通寺市原田町「ジャンボうどん高木」〜50年続く伝統の釜あげうどんの人気の理由〜
ーー開業まで。
父親が開業してもう50年以上です。
時代も令和に変わりましたね(笑)。
元々は現在の場所で米穀関連の販売店をしていました。
そういう商売は、当時は売上に波がかなりありましてね。ですので、父親も安定した収入が見込める商売がしたいという考えがあったと聞いています。
最終的にうどん屋で開業を決める際に、背中を押して貰った話がありましてね。
開業するかしないかを迷っている時に、ウチの母親が自分達で作ったうどんをご近所さん10人に振る舞ったんですよ。それで10人のうち7人が「美味しい」と言ってもらえればうどん屋の商売を始めよう、そんな話があったようですね。
それで10人中、ほとんどの人が「美味しい」と言って下さったので、うどん屋の開業を決めた経緯があります。
昭和の時代多くのお店が商売をはじめる動機というのは、そんな感じだったと思いますよ。
ーー当時のうどん屋情勢。
50年以上も前の話で曖昧なところもありますが。
当時、丸亀から善通寺のこの通り近辺でも、うどん屋は2~3店舗しかなかったんですよ。
特にこの近辺は田んぼばかりでしたから、飲食店もなく、何かごはん屋さんでもやれば繁盛するんじゃないか…みたいな見方がありました。
当時の心境を振り返りまって、すごい下世話な言い方をしますと
「開業したもん勝ち、早いもの勝ち。」
みたいな雰囲気があったのかも知れませんね(笑)。
当時は善通寺の長田うどんさんが本当に大人気でした。
毎日すごい行列で繁盛していたのを覚えています。それを父親が見ていて、この辺りにもう1件うどん屋が出来ても大丈夫ではないか…と思ったのが、開業のきっかけみたいですね。
大成功している長田うどんさんをお手本にしてやってみようか(笑)…という軽いノリでうどん屋を商売で始めた、そんな雰囲気でがむしゃらにやっていたのかも知れません。
香川県はうどん県というくらいですから、ひと昔前は
「脱サラして、うどん屋でもしようかな。」
みたいなやりとりは、よくある話でしたよね。
ーー順調に軌道に乗った理由。
開業から、50年間変わらずにご近所さんを中心に来て頂いて、本当に有難いことに順調です。
何度かの讃岐うどんブームで県外の観光客の方が増えた時期もありましたが、現在も変わらず多くの常連さんに来て頂いているのは感謝ですよね。コロナウィルスの時もテレビやニュースで報道されるほど、ウチは売上が落ち込むこともなかったのは常連さんのおかげです。
やっぱり、うちは観光客よりは地元のご近所さんで支えられていますね。
県外の方もたまに来られることもありますけどね、「かけうどん」がないですからね(笑)。
「かけうどん」がないと県外の方にお伝えすると、困惑されて帰ることもあるんですよ。申し訳ないなあと思いますけど…しょうがないですよね。
「釜揚げうどん」がメインで「かけうどん」をやってないですから。
ーー一世を風靡したキャッチコピー。
開業直後は店名も「高木うどん」で「ジャンボ」というフレーズはなかったんですよ。
開業して2〜3年経過して、親しみを込める意味も込めて「ジャンボうどん高木」と改名しました。
「食い逃げごめん」のキャッチフレーズは当時は新聞やテレビなどのメディアで取り上げてもらえて、忙しくさせて貰えました。ジャンボっていうのも、お客さまにはお腹一杯になって帰ってほしい、量が多いから安心して食べに来てくださいという、ウチからのメッセージでしたね。
その辺りから、ご近所さんや常連さんが定着しましたね。
自分たちは今と違って、うどん屋の数がかなり少ない時代から始めることが出来たので、本当に良い時代に始められたなあと思います。
なんだかんだ…運も良かったんでしょうね。
令和の時代は飲食店も情報も増えて、昔みたいにうどんを真面目に作っているだけでは経営は難しいと思います。
美味しいのはもちろん、SNSで自分で宣伝もしないといけないですよね。
これから、開業されるうどん屋さんは本当にいろんなことが出来ないといけない、昔はある程度のうどんが作れたら、商売続けられましたから。
ウチは50年変わらない、変わっていない。
お客さんとの会計も未だにそろばんを使っていますから(笑)。
ーーうどんづくりで大切なこと。
意識してこれをこだわっていると言うのはないんですよ。
小麦粉は昔からASWで変えていないですしね、生地作りは前日に練って少し寝かしています。とにかく、毎日同じ品質のウチのうどんを作ることに集中していますよ。
結局、毎日丁寧に手抜きせず作るのが一番ですよ。ウチはメニューが限られている分だけ、集中できますから。
しいて言うなら、前工程の生地づくりが大切ですね。後の工程で取り返しがつかないですから、生地作りでうどんの出来はある程度決まるんじゃないでしょうか。
ウチは釜揚げ専門的なところがあります。
年間で見ると夏場は冷やと釜揚げが半々くらいで、冬場は釜揚げの注文はほとんどなので、釜揚げうどんの出来栄えを想定した生地づくりにはなっているんではないのかな。
毎日のうどんの出来はかなり安定している方だと思いますね。
釜揚げが多いので、その日の出来栄え以外にも大切なことは、うどんの提供のタイミング、スピードですよね。お客様とのリズムと言いますか、呼吸が大切ですね。お客さまにはとにかく、出来立てを食べて頂きたいですから。
お待たせするのはもっての他ですね。
ーー50年変わらないうどんづくり。
開業した50年前から、ずっと同じ機械でうどん作りをしています。
手打ち手切りを工程に入れてしまうと、うちのキャパではどうしても難しいんですよね。昔から、営業面を考えると機械が最適だろうとの判断です。
お客様を待たせたりしては行けませんから、そこは機械で作るのが一番良いのではと思っています。
それに昔から、使い続けている機械がよく出来ていましてね。
50年間ほぼ壊れたり、故障したこともないんですよ。
坂出市の福井工作所さんの機械を使わせて貰っていますが、お見事としか言いようがないです。もちろん、現在のデジタルの機械も良いんでしょうけど、福井工作所さんの機械は頑丈で本当に優秀ですね。
おそらく、当時の社長さんも採算度外視で、うどん職人にとって、良い機械を提供しようという一心で作ったように思えます。本当に素晴らしい、壊れたことがないんでね。
それら機械のおかげで、ウチの経営は持っているようなものですね。
ーー50年間変わらないけど大切にしていること。
基本的にうどんメニューは「釜揚げうどん」「ざるうどん」「ぶっかけうどん」です。
まず、「かけうどん」がないので、初めての方はびっくりするかも知れませんね。
他のうどん屋さんみたいに季節のしっぽくうどんやカレーうどんとか、メニュー数が多い方がお客様は嬉しいのかなと…少しは思いますけどね。
現在も大切にしていることは、手を抜かないのはもちろんですけど、細部まできちんと丁寧に作り込むことです。
例えば、卓上に置いてある薬味ひとつをとっても手間暇かけています。
ゴマは洗胡麻というゴマをフライパンで炒ってから出します、香りが全然違いますからね。
開業時代からメニューにある、寿しも作り方を昔から変えていません。干し椎茸と干し海老から出る自然な出汁をメインに味付けしています。他の食品添加物の類は一切使っていません。これはウチの母親が作り出しまして、現在は妻が引き継いで作ってくれています。
おでんもタコから出る出汁を中心に、毎日時間をかけて仕込んでいます。
ウチは天ぷらがない代わりに、寿しやおでんを楽しみにしてくださる、お客様が多いんですよね。うどんは食べないで寿しのテイクアウトを頂けたりと…嬉しい限りですね。
ーー最後に一言。
自分たちから見ると、普通のことをコツコツと丁寧に誠実にしているのかなと思います。
お店の従業員メンバーもほぼ変わっていませんしね。
お弟子さんではありませんけど、丸亀市の「純手打うどんよしや」の山下さんも働いてくれていました。よしやさんは全ての工程を手打ち手切りで作って、凄いですね。どうやって、やっているんだろうと職人として尊敬しています。山下さんがウチにいてくれたことは自慢ですよ。
メニューに「かけうどん」はございませんが(笑)、お気軽にお越しくださいね。
ジャンボうどん高木 | |
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住所 | 〒765-0032 香川県善通寺市原田町1000−2 |
電話番号 | 0877-62-0908 |
営業時間 | 9:00~14:00 (土曜日は8:30~14:00) ※玉切れ次第終了します。 ※休みは日曜日・祝日 |
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この記事を書いた人
アユム・スカシヒット(株)一誠社http://isseisha.co.jp/
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