観音寺市観音寺町「山地蒲鉾(株)」〜信じ抜く蒲鉾の底力と地域貢献〜
創業は明治時代。
観音寺のみならず、蒲鉾の歴史を紡いできた「山地蒲鉾 株式会社」。
伝統的な手作りにこだわった蒲鉾は令和になり、さらなる進化と発展を遂げています。
今回は代表取締役の山地基嗣さんに貴重なお話をお伺いしました。
観音寺市観音寺町「山地蒲鉾(株)」〜信じ抜く蒲鉾の底力と地域貢献〜
ーー創業は明治時代。
元々、この地域は昔から魚やエビがさかんに獲れておりましてね。
それは目の前が瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)という、地域特性もありました。
ですので、昔は蒲鉾を製造している企業もかなり多く、この狭い地域に20社以上あったようです。特に地エビが多くとれたことから、エビ天が定番で観音寺近辺では名物だったようです。
現在は、中々地エビも獲れなくなりました。
当社のエビ天は着色料の類は一切使用しておりません。
また、全ての商品の基本となる山地蒲鉾のオリジナルのすり身には強いこだわりをもっています。数種類の魚をブレンドすることで、魚の旨味と甘みを凝縮し、ふんわりかつプリプリの食感にしています。
このオリジナルのすり身をベースに現在は色々な商品展開をしてます。
特に練物は熱や温度に大変敏感です。石臼で練り上げることで商品の劣化を防ぐと同時に新鮮さと美味しさ、独特の粘り気や弾力が生まれていると思います。
この当社の石臼を使って練り上げる工程は明治時代から変わらない当社の製造技術のひとつなんですよ。
ーー昔は魚の仕入れも自分たちで魚市場で行っていた。
昔は魚市場で魚を買って、早朝から魚の下準備をしていました。
おかげさまで商売が軌道に乗り、製造量が増えていくと作業量や工程数がスタッフに負担がかかります。食品を製造していますので、衛生管理をもしっかり行わないといけなくなりました。ですので、魚の下準備の前工程は地元の専門業者さんにお任せしています。
忙しいのは本当に有難いことなのですが…忙しくなると人間というのは、仕事が雑になりますよね。特に自分達は人間の手でつくる蒲鉾を販売していますので、丁寧な手作業を行う時間や環境を確保することは大切なんです。
前工程を業者さんにお任せすることで、美味しい蒲鉾を作ることに専念出来るのはもちろんですが、商品企画が出来るようになったことが昔と比較すると大きく変化しています。
ーー「次世代に繋げる」。
明治40年から代々続いてきました。
元々は竹輪を焼いて手売りしていたところから始まりました。
どこもそうだと思いますが、田舎…地方はどんどん元気がなくなっていますよね。ここ観音寺も、昭和の時代から比較すると寂しくなりました(笑)。
ですが、自分達はここで育ち、現在もこの地域で生きています。
自分も叔父や叔母の苦労してきた背中をずっと見てきて、多くの悔しい思いを経験したことがあります。そんな時に応援してくれたのは、地元の方々や常連のお客様ですから。
「自分達の世代だけが良い」
と思って事業をするのではなく、過酷な現状を受け入れて、自分達の下の世代により良い形で継承していく。10年後、100年後の明るい未来へ受け渡していく気持ちです。
自分も若い頃はそういうことは理解できていませんでしたが、年齢を重ねていくことで気が付くこと、理解できることってありますよね。
「繋いでいく、受け渡す」という言葉には、自分の故郷に恩返しする意味も含まれているんだと思いますよ。
ーー「蒲鉾ひとつを売ることの難しさ」。
昔から、常連さんも含めて、応援してくださる方々がいらっしゃるのは有り難いです。
やっぱりね、自分たちは多くの方からご支援があり、現在があることを忘れてはいけません。
少し前にお知り合いの業社さんから
「山地さんの蒲鉾は本当に美味しいから。県外の展示会に出てみなよ。」
と言ってくださるので、意気揚々と展示会に参加したら、全然売れなかったこともありましてね(笑)。
県外の展示会では、地元の利というものを感じました。同郷の商品は手に取って貰えますが、県外で他所者の商品というだけで中々、手に取って貰えないんです。試食すら、して頂けなかったんですよ。
最初は本当に売れなくてね、落ち込んだものですが、応援してくださる方が
「山地さんの蒲鉾は美味しい。一度食べてもらえば、みんな絶対買うから大丈夫!」
と言ってくださり。
県外での展示会では、試食を多くして頂くことを目標としました。
一度試食して頂いて、食べて「美味しい」と認めてくださると買ってくださる。そこから、県外の展示会での売上も少しづつ増えていきました。
本当に、蒲鉾ひとつを買ってもらう大変さを経験できたことは貴重でした。
結局、自分達の原点は
「1個の蒲鉾を美味しいと思って買って頂くこと」
から始まりますよね。
それは10個でも100個のご注文も、最初は1個の蒲鉾を手に取って、食べてもらうことから始まるんです。
1個の蒲鉾が売れる意味はとても大きく、そこから始まります。
ーー人気うどん店に選ばれる理由。
うどんも蒲鉾も同じだと思っています。
うどんも手作りの工程を入れると、不思議と美味しくなりますよね。
蒲鉾業界の昨今は冷凍技術をはじめとした、様々な製造技術や設備が発展しており、衛生的で均一な美味しさを出すことが可能になりました。
そんな時代の中で、
「自分達の価値は何だろう」
と考えました。
大手企業のように、設備投資を繰り返し、大量生産と大量流通を目標にすることではないと思っています。
自分達のように手作業で手間暇をかける蒲鉾は、機械でつくる均一な美味しさではなく、奥行きを感じてもらえる、手作りならではの美味しさです。
何十年、それこそ家族代々で、うちの蒲鉾を買ってくれるお客様がいらっしゃいます。それは自分達の、手作りでしか出せない蒲鉾を好きでいてくださいます。
変わらないもことも必要なんですよね。
人間の手で作ることは、職人一人一人が自分達の手で感じて、食材の状態や温度を判断して、その時その時で一番美味しいとされるものが出来上がります。
それが自分達の強みなんですよ。
香川県のうどん屋さんと似ていますよね(笑)。
ーー次々と湧きあがる新商品。
古いものを取り入れて、新しいものをつくりたいですね。
リノベーションした倉庫「かまぼこ音楽堂」は瀬戸内国際芸術祭でコラボが出来たり、地元の観音寺の学生さんたちと一緒に商品企画して発売した商品も話題になりました。
練り物屋というのはどちらかというと、お固い、融通が効かないイメージがあるかも知れません。
まずはそこを変えたくて、地元の高校生と蒲鉾とドーナツに商品企画販売をしたりね…出来るだけ、地元の観音寺の方々と一緒になって挑戦しようとしています。
手作りで蒲鉾をつくる自分たちだからこそ、柔軟な商品開発が出来るんですよ。変わるのは自分たちから、率先して変わっていきたいですね。
ーー山地蒲鉾のこれから。
おかげさまで、売上も順調で色々なことに挑戦できていると思います。
JR高松駅ビル「タカマツオルネ」に出店したり、ペット用の蒲鉾を商品開発したりと色々と新しいことに楽しみながらやれています。
自分一人でなく、妻や従業員の正田さんをはじめとした若い子たちのアイデアを貰いながら挑戦しています。
新商品のデザイン案なんかは、僕の意見はほとんど通りませんけどね(笑)。
でもね、それでいいんだと思っています。
若い世代が楽しみがら、自社の蒲鉾を通じて、地元観音寺を盛り上げていくことは嬉しいです。
ここまで、多くの商品企画開発をするきっかけは、昔、新宿伊勢丹で日本の美味しい蒲鉾を集めるイベントに美味しい蒲鉾屋として、当社が全国の蒲鉾屋の中から選抜されたことがありました。
伊勢丹のバイヤーの方々が
「山地さんの蒲鉾は美味しい。香川県で蒲鉾といえば山地さん。」
と仰って頂いてね、大変嬉しかったんです。
ただ、消費期限の関係で新宿伊勢丹のデパ地下に並ぶ頃には消費期限が短くならざるを得ないという理由で諦めざるを得なかったことがありました。
それが、自分の中で悔しくて、もっと美味しい蒲鉾を作ろうと商品開発に力を入れるようになりました。
伝統を守ることと、時代に合わせて進化させる。
この両輪があって、次世代に良い形で継承できるのだと思います。
楽しみながら、地元の皆様と仕事やイベントを行うことが、この観音寺の地域活性化の火種になるはずですから。
自分も楽しみながら、頑張ります。
山地蒲鉾 株式会社 | |
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住所 | 768-0060 香川県観音寺市観音寺町甲2695 |
電話番号 | 0875-25-3609 |
営業時間 | 9:00~18:00 ※無休(※年末年始を除く) ※水曜・日曜は10:00~16:00の時短営業、工場休業日 |
公式サイト | https://www.yamakama.jp/ |
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この記事を書いた人
アユム・スカシヒット(株)一誠社http://isseisha.co.jp/
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