高松市下田井町「うつ海うどん」〜おやっさんの言葉で開けた讃岐うどん人生〜
- 2022.12.16
高松市下田井町にある、県道10号バイパスと147号線が交わる場所にあるセルフ店「うつ海うどん」。
太くコシのある力強い麺は地元讃岐うどんファンからも支持され続けています。
今回は店主の内海貴之さんにお話をお伺いしました。
高松市下田井町「うつ海うどん」〜おやっさんの言葉で開けた讃岐うどん人生〜
−−うどん業界に入ったきっかけ。
元々僕は、岡山でメロンパンの移動販売をしていました。フランチャイズで仕事をしているうちに、フランチャイズ元の会社から「うちに入ってくれ」って言われて社員になりました。
その会社が新規事業でうどん屋を始めることになりまして、そこの社長に
「一緒にうどんの作り方を習いに行ってくれないか」
と言われました。
それで高松の「さか枝」さんに習いに行ったんですよ。
その時は、僕自身はうどんに興味は全くありませんでした(笑)。
「さか枝」さんで2ヶ月程うどん作りを習って岡山で始めたのが「うどん村」というお店です。その後、僕は手にケガをしてしまって、会社を辞めることになりました。
--「おやっさん」との絆。
それから何年か後に「さか枝」のおやっさん(先代社長)から
「店を手伝いに来てくれないか?」
と声をかけていただいたんですよ。
昔、岡山で「うどん村」を立ち上げた後、ちゃんと修業したわけじゃなかったので、うどん作りで分からないことが色々出てきていたんですよ。そうしたら、おやっさんが土曜日の仕事が終わった後、わざわざ夜中にフェリーに乗って岡山まで、うどんを教えに来てくれたんです。
それがね、凄く嬉しかったので、何かの機会に恩をお返ししたいな…とずっと思っていました。香川に帰って来るつもりはなかったんですが、その思いが後押してくれました。
手をケガして動かなくなった時、お医者さんには
「元通りにならん」
って言われていたんですけどね。
リハビリしながらでも恩返しできるなと思って、お店の手伝いに入りました。手をケガした時点で無理だと思っていましたから、その時も全然うどんを生業にするつもりもありませんでした。
ーー人生を変えた「おやっさん」の言葉。
当時、治らないと言われていた手が、うどんをしているうちにだんだん動くようになってきた。うどん作りがリハビリになったのかとも思いますが、本当に不思議ですよね。
そうしているうち、飲食に興味がなかったのにうどん屋がおもしろくなってきたんですよ。
おやっさんには息子のように大事にしてもらいました。
うどん作りをイチからはもちろん、色々と大事な事を教えてもらいましたから、やはり影響は大きいですね。
でも修業はかなり厳しかったですよ。
僕が「さか枝」さんにいた時でも、毎月全国から5、6人は修業に来ていましたけど、多くの人は続きませんでした。大体の人はおやっさんに
「お前もう辞めとけ」
って言われるんです(笑)。
僕自身は「うどん屋は儲かる」というところから入ったんですよ。よくおやっさんに「どういう風にしたら儲かるか」と聞いていたんですよ。
そうしたら
「儲けるじゃなくてええもんを作れ。ええもんを作ったらお客さんいうんは勝手についてくる」
と言われました。これをずっと言われながらうどん作りを続けているうちに考え方が変わって来たんですよね。
−−自分の力を試したい、独り立ちまで。
修業を続けていると、おやっさんから
「もう店を譲ってやるから、ここでせえ」
って言われたんです。
今は息子さんが継いでいますが、元々は継ぐ予定がなかったからね。
なんやかんやでね。3回ぐらい言われたんですけどね…辞退させて頂きました。お客さんが付いている人気店を継げれば安泰ですけど、それでは自分の力が試せないじゃないですか。既に気持ちは「儲け」じゃなくなっていましたので。それで独立したんです。
OPENしてからは常に、どういう風にしたらお客さんが来てくれるかを考えています。
最初の3年は赤字覚悟でね。
普通は原価率を計算するんですけど、利益度外視しましてね。小麦粉や材料もこだわって良い物を使いました。
毎月赤字が出ていましたけど、値段も出来るだけ安くしてね。あの価格帯で量をこなせばこなすほど赤字が増えるんですが、それでもいいかなとやっていました。
3年間は辛抱しよう。その間、お客さんが付かないようだと無理だと…。本当に賭けでしたね。
運が良かったのか、立て続けにテレビとかに出てたりもあり、お客さんがたくさん来てくれるようになったんです。
ーーうどんづくりのこだわり。
最初はうどんもダシも「さか枝」と全く同じ材料、やり方で作っていたんです。
今でも、お客さんには
「さか枝の味に似ている」
って言われることがありますけど。
自分の店ですのでね、これまでの作り方を全部捨てて、イチからやり直しました。開店当時、麺はモチモチ食感というのが流行っていて「固麺は流行らない」とか言われたんですが、ちょっと自分の理想のイメージと違う。
始めはお客さんに合わせる、お客さんが好きそうなうどんを作っていましたが、結局は自分がこれだというのでやろうと。
以前は、もう少し柔らかい加水多めの麺だったんですが、今は変えています。
特に「釜あげ」のオーダーが多いので、「釜あげ」の麺でもしっかり弾力を感じられる配合や作り方に変えていますね。
ーー出汁づくりのこだわり。
出汁に使っているのは、イリコとカツオと昆布で基本的な材料だけです。
昆布は「さか枝」は日高昆布ですが、うちは利尻産です。
醤油は香川県産をブレンドして使っています。
出汁は開店前からセルフの容器に入れておくんですが、火の加減が難しくてどうしても煮詰まってしまうんですよね。
お客さんに「ダシがぬるい」って言われたので温めたら、真っ黒いラーメンスープみたいになったこともありました(笑)。
それを改良し続けたのが、今のダシです。
醤油に関しては、各々メーカー毎に煮詰まり方が違うんですよ。色々と試した結果、今の醤油になりました。お客さんには
「今日はダシが薄いな、濃いな」
って言われるんですが、毎日変わらず、同じ味に持って行くのが難しいんですよ。
ダシも麺と同じで、今日は何度で湿度がこうだからこうしようと、計算して考えないといけませんから。
どちらも、自分的にはまだまだですけどね!
−−目指すのは「10人のうち8人が好きなうどん」。
極論を言えば、うどん作りは1日教えてもらえればできると思うんですよ。
特に、今は良い機械もありますからね。
でも、追求していく、続けていくと悩みが出てくる。
僕はどちらかというと神経質なので、色々な小さいことが気になるんですよ。なんで膨らみが弱いのかなとか…それをずっと追求して行くと飽きませんね。
悩んでいることも、逆にお客さんの反応を見て、自分なりに段々と答えが出てくる…その繰り返しが面白いから続けています。
当店は粉を混ぜるミキサー以外は全部手作業ですから。仕込みはかなり、手間がかかって忙大変なんです。お客さんが増えてきてから、身体の負担も増えてきたんですけど、元々忙しいのは好きなので。
やっぱり、うどんづくりが好きなんですね。
僕の理想は10人に8人が美味しいとまで行かないまでも
「これだったらいけるかな」
って言ってもらえるような日常に溶け込むうどんです。
完璧は本当に難しいですから。毎日飽きずに食べてくれる物を目指しています。
ーー「うつ海うどん」さんのこれから。
現在のメニューは開店当時と比べるとシンプルです。
開店当時から増えたのは「釜肉ぶっかけ」ぐらいですね。これもお客さんから「やってくれ」って言われたのが始まりですから。需要があるならメニューに書こうかと。
他には、具材にこだわった「カレーうどん」も作っていたんですが、手間がかかりすぎるので店には出していません。今はスタッフも少ないので、今のメニューで手一杯ですね。
「さか枝」さんでは本当に勉強させてもらいました。
讃岐うどんを好きな方には、それぞれ好みがありますね。固いのが好きな人や柔らかいのが好きな人、本当に味の好みは十人十色です。
さらに、うどんやダシの作り方はもちろんですが、お客さんの客層も広いんですよ。学生さんやビジネスマン、何気なく食べに来られている方が、実はすごい経営者の方だったり、本当に色んな人と会話ができるのは良い経験で楽しいです。
なので、「おやっさん」には足を向けて寝られません。
うつ海うどん | |
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住所 | 〒761-0313 香川県高松市下田井町359-2 |
電話番号 | 087-813-0365 |
営業時間 | 6:00〜15:00 (麺がなくなり次第終了) |
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この記事を書いた人
アユム・スカシヒット(株)一誠社http://isseisha.co.jp/
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